未来になれなかった全ての夜に・まえがき

星空の鍵です。
ライブの感想をぜひ欠いて欲しいという声が寄せられているのですが、その前にライブの時に思ってることとか、このライブに対する気持ちとかがあるので書いておこうと思いました。本編に入る前にだらだらと書いて面倒に思われても良くないですし。
このところ感情の塊みたいなフォロワーができて感化されているというのもあります。感情の揺れ幅が大きく敏感になるのはたのしくてとてもよいですね。



まずライブ。とはいえライブ経験なんて片手でようやく数え切れなくなるぐらいのもので、大きなホールのライブはこれで2回目です。回数なんてどうだっていいんですよ。あのライブ会場という空間が、本当に得がたいものだという感情は、多分多くの人はあんまり抱えていないものだと最近分かってきました。

周りの街から、あるいはずっと遠くのどこかから、たった一つのものを求めて1箇所に集まっている。ホールに入って見下ろした、あるいは見渡したあの光景の中にいる人間全てが、ほんの数人の人間の為に時間とお金とを費やしてここにいる。こんな異常な集会に自分がいる。こんなにも馬鹿げたことが他にあるだろうか。僕はだいたいこんな感情を抱えてライブ会場で打ち震えています。



そして「未来になれなかった全ての夜に」というライブのタイトル。アルバム「あんたへ」以降のamazarashiは心底自分が感動できる曲から聞く人間に向けた能動的なメッセージへと転換して曲を出してきています。そのひとつの完成形が「新言語秩序」であり、朗読演奏実験空間と銘打たれたそのライブでした。これは正にamazarashiというコンテンツから打ち出された明確なイデオロギーであり、この時代を生きていく僕らが標榜して行かなければならないものだと考えています。

でもやっぱり、大仰な主義思想では生きていくことは出来ない。世界をずっと貫徹していくモノは大切ではあるけれど、日常に、個々人に寄り添った音楽だって必要だ。これはきっとそんなライブになるんだろうと確信しています。
僕らみたいな人間に夜はどうしたってのしかかかってくるものです。月と星と何より街の灯りが目を覆うほど眩しく、静寂がとめどなく鳴り響いて止まない夜。耳を塞いでも目を塞いでもぐるぐると回る暗い考えは留まることを知らず、「明けない夜はない」という底抜けに明るい呪詛に唾を吐き掛けてようやく生き長らえてきた。
そんな「未来になれなかった全ての夜」と対峙する何か。「歌は届く、手の届かないところにまで」というのはamazarashiのいつかのCDの表題でした。このところ雨は降り続けていたが、「空に唄えば」で雨は止んだ。であれば、星の瞬く夜に手を届かせることだってできるでしょう。
セトリは全部一緒とかそう言う話も聞きましたが僕は見ていないので関係のない話ですね。1人ではしゃいできたいと思います。

それじゃあまた、いつかどこかで。今回はきっと近いうちに。