それでも言葉を紡ぐ

音楽への嫉妬がなんとかという文章に触発されて書いています。星空の鍵です。

詩歌という言葉もあるほどで、詩とメロディ、あるいはリズムというのは本当に密接な関係にあります。575や57577といった詩は一定のリズムで読まれますし、中世ヨーロッパにおいて真剣に詩を紡ぐ職といえば吟遊詩人というのが真っ先に浮かびます。実際のところどうだったかは知りませんが。

 

僕の好きなアーティストであるamazarashiもポエトリー・リーディングという手法をよく取ります。僕自身それらはとても好きで、だからこそ大変に悔しいです。

 

音楽、殊にポエトリー・リーディングや弾き語り。これらは詩の伝達力を何十倍何百倍にもし、旋律とともに甚大な貫通力で心をぶち抜いてゆく。空気を震わすことのできない詩の伝えられる分を、一足飛びに乗り越えてゆく。大好きな音楽の一節を、心の支えとして大切に包んでいる人は少なくはないでしょう。例に漏れず、僕もその一人です。

 

それはとても残酷な話です。僕は音楽はできない。少なくとも今はそうという話ですが、少なくともいま使っている言葉たちを旋律に乗せようとは思っていません。

 

これはある種の絶望で、文字書きの原動力の一つだと信仰しています。

音楽にすれば、きっと耳に心地よく吸い込まれていくんだろう。

絵や写真や映像が使えれば、もっと多くの人の目にとまるのだろう。

でも、それではいけない。

絶望を抱えながら、言葉しか使うことができなくても、「でも、それでも」ということができなくなったら、物書きとしておしまいなんだろうと思います。

 

音楽では溢れてしまうような言葉の力が、旋律に乗らない詩にあるのだと信じて。

 

それではまた、いつかどこかで。