詩のはなし

おはようございます。星空の鍵です。現在時刻は午後11時を回りました。

 

物書きという種族は書く場所があると無限に書いてしまうという重篤な病に侵されており、そういうことです。お腹いっぱい焼き肉を食べて熱い風呂に入ったことで発作が起きてしまいました。

隙間風の吹きすさぶ木造家屋でお腹を鳴らしながら書かれた詩は大変ドラマチックで、民衆のエモーショナルポイントが不当に加算されますが、基本的にはお腹いっぱいの方が良いものが書けます。人間の脳はご飯を食べるとできるぶどう糖で動いているからです。

 

そういうわけで詩です。詩とはなんだ。

僕も詩を書く者の端くれであるわけですが、どうやって書いているのか完全に謎ですし、詩とはこういうものだという何かがあるわけでもないです。

この文章を書いている最中で投稿されたものです。やられた。タイムリーがすぎる。

岩倉文也さんは完全に同年代の詩人で、とてもすごい。ツイートされるのはほとんど140字きっかりの定型詩で、毎回かなわないなと感じます。僕も試みますが、言葉のリズムと全体の空気感を保ったまま言葉を増やしては削らなければならず、大変に難しい。重く鈍く、読んでいる最中の時の流れがゆっくりになる印象があります。

こんな場末のブログを見ている隙があるなら彼のツイートを遡ることをおすすめします。

 

詩は物語を書くことのできなかった人間の最後の拠り所だという話を小耳に挟んだことがあります。物語とか本当に書けない。カクヨムに短編を上げましたが(宣伝)、長編とか全く書ける気がしませんね。

話を戻しますが、詩とは、物書きの紡ぐ、あるいは彼ら自身としての物語になることのできなかった言葉たちの、墓標のような、消えてなくなってしまう前の最後の輝きのような。

だからこそ、言葉のない世界に継がれる物語があるとしても、詩はないのだということになるのでしょう。

 

そんな話でした。

そういえば送られてきた写真から詩を仕立て上げるということを密かにしているので、ついったのDMなどに送りつけて貰えばいつか届くかもしれません。

長い文章が書けるなら本の感想なんかもここに書いてもいいかもしれないですね。

それじゃあまた、いつかどこかで。

 

カクヨムの文章はこちらに

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889025816/episodes/1177354054889032152