Re:結果と過程の話

はい星鍵です。

 

みんなの意見が聞きたいとのことなので書きます。元の記事を僕は知らないけど。文字に起こすのに「聞きたい」ってなんか不思議ですよね。

 

はじめに。

僕はこういう二者択一の話題があまりすきではないです。どっちの方が価値があるとか、そっちには価値がないとか、そういう切り分けを進めていくと「価値のない人間」が生まれてしまうような気がしているからです。自分がどう転んでいくかなんてわからないので、いつか自分が考え抜いて宣告した「価値のない人間」になってしまうかも知れない。そうした時にそれを否定することはきっととても難しいでしょう。

 

それでも、前述の話題でいうならこれは「結果」の重さになるんでしょうかね。どちらかの天秤を皿を沈めるのであれば、「結果」のほうが重たいという答えになりそうです。平時の雑談の延長であればそう返します。長くなるので。

 

ここは時の制限のない紙面の上なので長い話をしましょう。

 

これはとてもひどいエゴですが、「結果」が全部100%で「過程」は無駄だと断じてしまうなら、僕がここに至るまで積み上げてきたものを、例えば一浪したこととか、そういうことを無駄だと切り捨ててしまうことになるのでそれはやりたくないですね。いまここにいることだって最良の「結果」とは言えないもので、「過程」においてもそんなに……おっと、これ以上はやめましょう。

 

というか「結果」とは一体?これは何処に焦点を当てた議論なんですか?

 

プロジェクトや事業に関して言うのであれば、これは「結果」でしょう。殊に資本主義市場においては利益を出して明確な数字として結果を出すことが「結果」となりますね。あるいはそうならなかったものは消滅しますし、それが「結果」でしょう。底に至るまでの破滅的な失敗だって、終了しなければ「結果」の前に効力を持たず、どれほど順調であろうと消滅という「結果」を残せば有象無象の失敗譚と同じことです。

よくある議論ではこの部分がスポットされて「結果」が大事という話になるのではないでしょうか。

 

でも人間は?

実績や功績、記憶や記録に残る諸々は「結果」では無いですよね。あなた方の人生、行った後なわけないでしょう。生きてるんだし。全部「過程」ですよ。

僕らには「過程」しか無いのだから、「過程」に意味がないのなら全てに意味がないということになってしまうでしょうね。であるから、「過程」はとても大切です。その全てに意味があるのだと、価値があるのだと、僕は主張します。

「結果」がそんなに大事なら、それに向かって最速で突き抜ければいい。現代日本に生きる人間の残す結果は大抵焼かれて灰になることですから、とっとと「結果」になってしまえばいいのでは。

すごい棘のあることを書いてしまった。僕は「過程」も大切にするので、ゆっくり積み重ねていこうと思います。

 

うわぁいこんな風にとっちらかるので二者択一の話題は嫌いなんですよ。結果と過程って別に対立概念じゃないでしょ。どっちかしか大切にできないほど僕らは不寛容でもない。この議論は舞台の上にたった時点で負け。どっちも大事にしましょう。

 

それではまた、いつかどこかで。