独白、回顧録、夜に紛れて。

やぁ

星空の鍵です。ツイッターでちょこちょこ書いて居たりもすること、書いていないこと、何処かに行ってしまう前に書き残して置かなければならないこと、ずっととどまったままであるけど伝わるようにして置かなければならないこと、まとまった言葉でしか伝わらないものはあるはずなので記しておこうと思いました。

 

 

 

今回の文章は結構重たくて、とてもパーソナルなお話です。最近しんどそうなフォロワー多すぎないか?彼らの吐露があったのに僕だけ出さないのは公平ではないなと思ったのもあります。そういったものも含めて、僕のイデオロギーの話です。

 

 

 

イデオロギーとは、簡単に言えば社会的・政治的な立ち位置、考え方のことです。持っとややこしいしっかりした説明もありますが、いまはそういう場面ではないし、僕は理系の人間なのでちょっとよくわからないですね。

僕の立ち位置は「自由主義」にあり、それが今回の話の全てです。寛容と啓蒙を旨とする政治的な立場であり、何より道徳的哲学。リベラルというと最近はなんか違う集合になってきてややこしい。今はそういう話でもないですね。

これが僕の根源です。あらゆる物を許容しよう。しっかりと考えられて出された言葉に貴賤はない。それがポジティブであろうとネガティブであろうと尊いものであることに違いはない。個人的な話をするなら、キラキラの成功譚は糖蜜のように甘くてやみつきになりがちですが、まったくもって栄養にならないので好みではない。

イデオロギーを抱えて、明確な柱として生きている人間はそう多くはないです。インターネットの外で知り合った同年代では片手の指で数えられるほどしか居ない。そんなものです。それほどまでに厳格な思想というのは運用するのが困難でピーキーな性質を誇ります。殊に自由主義であるならなおさらです。

自由主義の政治的な運用はさておき、こいつは言論の自由表現の自由、信教の自由を『一切の例外なく』認めます。これは世界で最も嫌いな、何を差し置いても棄却しなければならないような唾棄すべき言説であっても、です。放った言葉の全ては何れ自分に向けられるかも知れないということを強力に自覚し、歯を食いしばって全てを認めるという意地を張るということです。

また、自由主義は連帯不可能な思想であるというのが僕の持論です。自由主義の啓蒙とは「全ての人間が賛成か反対かを同調を排して自分で決められるようになる」ということで、それは「共感による連帯」を排除するということです。これも結構大事な観点ですね。

 

 

 

わかりますね。こんなもん抱えてて生きやすい訳がない。こいつをずっとこねくり回して生きてきたんです。議論の際なんて話にならない。思考のベースが違いすぎる。

僕の行動を支える大きなものはやっぱり音楽で、amazarashiやそれでも世界が続くならがその最たるものですが、「ああ、生き方と合致しているんだな」なんて聴き方をしている人間なんてそうそう居ないでしょう。きっとそれでいいと思います。僕はそこまで政治的な人間ではないので全ての人間を啓蒙しようとは微塵も思わないし、楽な方がいいですよね。

僕自身はこの莫迦みたいに面倒な考え方を抱えていて後悔をしたことはないので大丈夫です。こういう考えのおかげで救われた人間が居たみたいで、報われたなとすら思います。あまりに奇麗で、怖いとすら言われましたが、それは間違いなく正しい感性でしょう。僕ですらこのイデオロギーを第一に遵守しようとする自分が少し怖いと思うことはあります。それでも、これは僕の大きな柱の一つであり、掲げた以上例外を生むわけにはいきませんから。

あらゆる思想を、言説を、生き方を許容することは、いつ逸脱するかわからない自分に残すことのできる最後の砦だと確信しているから。逸脱者に向けた奇異の目や嘲笑の言葉は、自分がそうなったときに何よりも強烈に向けられるはずで、それは絶対に避けなければならないので。

とはいえ、人間は感情を持つ生き物で、表現に載せられた感情が鋭かったり重かったりすれば、傷つくことも、受け止めきれないこともあります。それが殆ど無い僕は、やはりどこか達観しているようにも思いますが。

 

 

文章はつながっていますが、夜を越えて、自分の文章を顧みて見ました。面倒なことを書いているなと思いましたが、消すのもなんだかなということで残しておきます。そして自分を顧みてみました。海に向かう電車の中で揺られながらの、これらの思想のルーツを探る思索です。

SEKAINOOWARI――当時は「世界の終わり」表記でした――からamazarashi、BUMP OF CHICKEN、それでも世界が続くなら。政治的なアカウントを見たのはツイッターでのセカオワ関連のレスバからだった気がします。ただどれもいまの考え方に至る明確な分岐点とまでは言えないものです。イデオロギーも歌の歌詞も、個々のケースや感情に名前がついたり音楽がくっついてきたりして補強するのみで、結局ここには自分でたどり着いたのかも知れないと思うようになりました。自由主義だって、成立するための最大の課題は自分がいかにあらゆる表現に寛容でいられるかにありますから。僕は嫌いな表現に眉を曲げることはあれど、怒りに燃えて歯噛みしたりはしたことないですね。

 

 

 

何が言いたいのかというと、前半の文章はそんなに意味のあるものではないということですね。イデオロギーが云々というのはつまるところ言い訳みたいなもので、僕は僕のやりたいようにやっているのだということです。僕の異常なまでの寛容さは他のなにでもない僕自身によるものということです。だから、これが剥がれ落ちることは絶対にない。そういうことでした。

 

 

 

もうちょっとだけ続きます。人に手を差し伸べることについて。

これもよくわかりませんね。やりたいようにやっているだけというのはそうです。雫石雅月や霖堂帷は差し伸べる人間で、凪川鈴音や鳴根ノアは差し伸べられた人間。星灯楓花はすべてを包括する。彼らは僕ではないが僕は彼らであるわけで、僕が誰かに手を差し伸べないのならそれは嘘だ。といった旨のことをTwitterにはいつかすこし書いたような。

 

 

 

「誰かに救いの手を差し伸べる人間は、本物の愚か者か、いつか失ってしまった人間だ」というのは、いつかタイムラインを流れていった言葉でした。その人はその後、救えなかったのは自分自身だと述べていて、そして僕もそうです。

あのとき欲しかった居場所を。あのとき欲しかった言葉のはけ口を。あのとき言ってもらいたかった言葉を。

 僕自身は相当に恵まれているという自覚はあって、それでもあれだけ苦しかったのだから、そうでないならなおさらのはずで、想像もつかないような苦しみを少しでもどうにかできるのなら。

僕は勝手にやるので、どうぞ勝手に助かって欲しい。僕が与えられるものなんて本当に無いので、自体が好転したらそれは個々人の力です。手を差し伸べるということは、それ以外の全てに手を差し伸べないということと同義なので。

 

 

 

ただ、関わった以上2で終わりたいですね。最終的に生存している人間をプラスマイナスした数です。0になるのはやっぱり悲しいですし、-2になれば最悪ですから。生存だけが我々に残された最後の砦だと、よく言う話ですがやっぱりそうなので。

 

 

 

だから、これは本当に微々たるものですが、迫り来る希死念慮に対する抵抗の文言です。次もきっと。この言葉の墓石の端くれでお会いしましょう。

それじゃあまた、いつか、どこかで。